"ハチ"の一刺し ~蜂毒
だいぶ暖かい日が増えてまいりました。
天気のいい日には愛犬とちょっと外出という機会もずいぶんと増えてくるのではないでしょうか。
わんちゃんにとっては公園や草地で自然と戯れるまたとない季節ですが、それは同時に動物たちに病害性を及ぼす昆虫類にとっても同じように、その活動が活発になってくる時期でもあります。
動物病院で治療対象となるようなノミやマダニの活動も然りで、例年5〜6月以降は犬猫ともにかなり多く発見されるようになってまいります。
我が千葉県では「ゴールデンウィークにちょっとマザー牧場に遊びに行ってきたよ。」なんていうワンちゃんたちには、”ありがたく”ないお土産がついてくることも多いものです。
この時期は蚊による吸血も増えてフィラリア予防が始まったり、ノミやマダニ、蚊などの吸血昆虫による病害も生じやすくなりますから、動物病院でこうした予防の案内を受けることも多いのではないでしょうか。
季節柄、ノミ・ダニ予防をしましょう、という類の話題を持ち出す誘惑に駆られますが、それはまたの機会にいたします。。。
前置きがだいぶ長くなってしまいました。今回はテーマは刺されると痛い蜂とその毒にまつわるお話です。
都市化や住居の気密化、高層化に伴って毒を持つ昆虫などの生き物が私たちの日常に入り込むことはずいぶんと少なくなってまいりました。
ところが、人間やワンコの生活圏のちょっと外側に踏み出せば「蜂」や「毛虫」、「ムカデ」をはじめ、動物や人間に危害を与える可能性がある生き物はまだまだ多く潜んでいます。
ところで、「生物毒」という言葉を耳にされたことがあるでしょうか?読んで字のごとくですが「生物のつくりだす毒」とは防御や捕食のために進化させてきた、種の存続のために必須の化学物質のことです。
その生物毒のひとつ、蛇、サソリ、フグ毒など多岐にわたる動物毒(zootoxins)は、多くの植物やキノコなどがつくりだす植物毒(phytotoxin)やボツリヌス菌毒素など細菌やカビの作り出す微生物毒(bacteriotoxin)と並んで自然界がつくりだす「3種の毒」のひとつです。
やや横道に逸れますが冒頭のノミ・ダニや蚊等の吸血昆虫も血が固まらないようにする「毒」を使って血液を寸借して、その毒による「痒み」というお土産を残していきますから、広い意味ではこういった生物毒を持っているともいえるかもしれません。
都市部でも人間や動物に危害を生じる動物毒のうち「昆虫の毒」は植物毒と並んでよく遭遇するものです。当院周辺の生活圏で毒を持つ昆虫はおもに蜂、毛虫、ムカデ類などですが、このうち最も多く遭遇するのが「蜂」による犬への被害です。
下の顕微鏡写真は散歩中に突然、”ギャイン!!!”と叫んでそのまま足を着かなくなってしまったワンちゃんの肉球に刺さっていた「何か」を取り出したものです。
この「エイリアンの鎧」みたいなものは、ミツバチの「針」とその根元の構造と思われます。写真では右の鋭利な「針」とその根元の構造をかたちづくる、毒液を容れる毒嚢(どくのう)らしき構造が見えますが、写真では毒嚢は既に空のようではっきり確認ができません。
ところで、蜂には動物や人間を刺すハチとそうでない蜂がいるのはご存知でしょうか?「刺す蜂」というのはミツバチ、アシナガバチ、スズメバチなどの細腰亜目に分類される蜂だけだそうです。
そもそも、蜂が持つ「針」は産卵管が変化したものといわれています。つまり「刺さない蜂」は蜂のより原始的な姿であり、その針は産卵管として使われ動物を刺すことはありません。
刺される側からみるとケシカランことですが、生命を育むための装置が進化とともに次第に防御の武器に、さらにスズメバチ至ってはその破壊力はまさに兵器級の域に達していますから生物進化のダイナミズムには驚きを禁じ得ません。
ミツバチは針の構造上、いったん刺してしまうと、針が抜けるときにはなんと「内臓ごとちぎれて」しまいます。
つまり、ミツバチにとっては人間や犬を刺すということは、即死ぬことを意味するため、かなり追い詰められた状況でしか攻撃しません。つまり使ったら自らも死ぬという最終兵器による抑止力です。
こうして見ると先ほどの写真ではミツバチのお腹がちぎれているようにも見え、何やらかわいそうな気持ちになりますが、こうして針という「蜂に刺されたという証拠」を残していきますので、ワンコに何が起きたのかを予想することができます。
写真の針は肉球の中央部に刺さっていましたから、おそらくワンコにいきなり踏んづけられて、身動きが取れなくなったミツバチは生命の危機を感じたのでしょう。。。。
下記リンクの動画で毒嚢の驚くべき機能を知ることができます。ご覧になってみてください。
ー> ミツバチの針と毒嚢の動き(動画)
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当然ですが「刺す蜂」は毒を持っています。蜂に刺されると激しい痛みを起こして、刺された場所が熱を帯びて腫れ上がります。こういった体の反応は短時間のうちに生じる激しい「アレルギー反応」とそれに続く患部の「組織破壊」の結果であると考えると分かりやすいと思います。
蜂が持つ昆虫毒の特徴は多種類のアミン類、低分子ペプチド類、たんぱく分解酵素類など、まるでたくさんの化学物質をごちゃ混ぜにした「毒のミックスジュース」のような液体です。
アミン類にはヒスタミン、セロトニン、ドーパミン、アドレナリン、ノルアドレナリン、アセチルコリンなど「刺される側の動物の体の調節機能」をつかさどる生理活性物質そのものが多数含まれており、激しいアレルギーや炎症、痛みを引き起こしたり、神経や筋肉、心拍や血圧など体の重要な調節機能に悪影響してさまざまな有害な反応を引き起こします。
また、これらに追い打ちをかけるように、組織を分解する酵素などの多種類のタンパクやペプチドが周囲の組織や赤血球などの破壊を引き起し、医学的な意味でよくもここまでという情け容赦のないダメージを与えます。
さらに、オオスズメバチに至っては神経を麻痺させるような神経毒まで入っているという徹底ぶりです。
では、蜂に刺されてしまったらご自宅での対処はどうすればよいのでしょうか?
できる限り早く毒嚢が付着している針を取り去らなければなりませんが、無理に取ろうとすると逆に毒嚢に満たされている毒液を体内に押し込んでしまうため注意が必要です。その後に患部を絞って冷たい流水で洗い流し、冷やすことで症状を軽くすることができるかもしれません。
当然のことながら、強い痛みを伴っているため自宅での処置は危険を伴ったり、難しいことも多いものです。また、強いアレルギー反応に対してはなすすべがありませんから、あまり無理せずに動物病院に来院することを優先させていただいた方がよろしいでしょう。
動物病院での治療はまず、残存している「針」があれば可能な限り安全に取り除き、患部を洗浄して冷やすなどの処置を手順通り進めます。治療の基本は毒によって急速に引き起こされるアレルギー反応をはじめとするさまざまな有害反応をできるだけ抑え込むことです。こうしたさまざまな対症療法はきるだけ早期に行う必要があります。
副腎皮質ステロイドホルモン製剤や抗ヒスタミン薬、鎮痛薬などの薬物を使用して毒物そのものやアレルギー反応による「脹れ」や「痛み」などをできるだけ軽減することが重要な治療です。
症状が強い場合や、非常に強いアレルギー反応のアナフィラキシーショックにまで波及するような場合には血液循環や血圧調節などの体の調節機能どが失われ、命に関わるようなショック状態を起こすことがあり得るため、その兆候を注意深く捉える必要があります。
幸いなことに、小型犬でもミツバチ一匹程度の毒量では命に関わるような症状を示すことはあまりありませんが、過去にも蜂に刺されている場合には強いアレルギー反応の可能性があるため要注意です。
また、複数箇所を刺された場合や、スズメバチなど大型の蜂はもちろん中型のアシナガバチなどによるものでも体が小さなワンちゃんでは特に注意が必要です。
お散歩の楽しい季節ではありますが、お花畑や小さい花がたくさんさいている草むらではワンちゃんの足元でミツバチが蜜を吸っていますから、充分にご注意を!
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文責:あいむ動物病院西船橋
病院長 井田 龍